
熊本県玉名市に鎮座する疋野神社。

御祭神

神代の時代の尊い大神様です。
御由緒

以下、頂いた由緒書より…
疋野神社は
…………2000年の歴史を持つ由緒深い神社です。
○県内最古の国史現在社である。
六国史「続日本後紀」に官社(官幣社)列格の年月日が銘記されている由緒格式高い神社である。
(承和7年7月27日官社列格一西暦840年)
○貴重な式内社である。
平安時代の「延喜式」神名帳記載の神社を式内社という。
日本で当時、特に著名であった神社を記載する。熊本県では
現存三社のみ。玉名郡市では当神社のみ。
(現在本邦神社数約1360社、玉名郡市約200社)
○玉名地方最高の旧県社である。
明治初年、玉名郡市唯一最高の県社となる。
○すばらしい御社殿と県下にほこる大鳥居
現在の御社殿は、肥後藩主細川綱利公の御造営で、すでに
300年を経る。参道正面には天空をつくような堂々たる純白の
大鳥居がそびえたつ。春の桜、秋の紅葉も美事である。
○疋野長者伝説ゆかりの神社である。
境内に長者の御神陵があり、古くより、特に縁結び、商売繁昌、
開運招福を願う参拝者が多い。
御神陵の真横に「長者の泉」があり、清らかな御神水がこんこん
と湧出している。「福授の霊水」として大切にされている。

正面の翼のある飛龍の彫刻などは稀有で見事なものです。
疋野神社御案内
疋野神社は二〇〇〇年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
疋野神社の創立は、西暦八十八年の景行天皇筑紫御巡幸の時より古いと伝えられます。
六国史の一つ「続日本後紀」に……仁明天皇承和七年七月庚子(西暦八四〇年) 肥後国玉名郡疋野神社を以て官社に預からしむ云々…と官幣社列格の年月が銘記されている由緒深い神社(国史現在社という)であり、また平安時代の国の法律書「延喜式」の神名帳にも記載されている式内社で、県下でも貴重な存在です。「延喜式」は延長五年(九二七年)に制定され、日本全国で当時すでに存在し、また特に著名であった神社が記載されています。
現在熊本県下で神社数は三二〇〇社程ですが、式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、 国造神社、そして当地方の疋野神社のみです。
当社は奈良平安時代、玉名地方の豪族日置氏の氏神神社としてはなやかに栄え、また立願寺という地名は、疋野神社の神護寺であった「立願寺」というお寺の名前が起源です。

疋野神社は玉名地方で最高の県社に格づけされた神社です。
疋野神社は前述の如く国史現在社・式内社であり、また明治初年には県下で真っ先に県社に列格されました。
旧玉名郡(現在の玉名郡市・荒尾市含む)内には、約四六〇の神社がありますが、県社は当神社のみです。
(県社一社、郷社七社、村社百三十三社、無格社三百二十一社)

疋野神社の御祭神は古来よりこの玉名の地に御鎮座・御守護の大神様です
疋野神社は他の神社よりご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。大昔よりこの玉名の地に御鎮座の神様であり、この地方を古来より御守護なされてきた大神様をお祀りする神社です。
御祭神、波比岐神は日本最古の書『古事記」記載の神様であり、日本建国の場づくりをなされた神代の時代の尊い大神様です。「延喜式」には、天皇御即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、又祈年祭・月次祭の祝詞や、神明様の宮中三十六座の中にもそのご神号が見え、特に朝廷のご崇敬が厚い神として記されています。相殿には父神様であります大年神がおまつりされています。大年神は、 天照大御神と御姉弟であります素盞鳴尊の御子神様です。
波比岐神、大年神ともに、皇室、国土御守護の神として、また、人々の生活御守護の神として特に御神徳高く古くより大切にされてきた神々様です。

疋野神社は疋野長者のゆかりなつかしく縁結び・商売繁昌・開運招福に特に御神徳高い神社です
この玉名地方には疋野長者の伝説が伝えられていますが、その長者の御神陵が社殿真裏にあります。この疋野長者のゆかりにあやかり、長者の如き幸と福を祈っての参拝者があとをたちません。 また玉名温泉(旧立願寺温泉)は、この疋野長者発見の出湯と伝えられ、優れた泉質と千三百年の歴史の深さで世に知られています。
御縁日は四月一日です。

ここは、遠くの神社をお参りしたい時、この場所を通して遥かに拝むための遥拝所です。心を込めて御拝礼下さい。
(例)・伊勢神宮 ・皇居宮中三殿 ・靖国神社 ・ふるさとの氏神神社 ・その他遠くの神社
御社殿と鳥居は文化財としても貴重なものです
現在の御社殿は、延宝六年(一六七八)に藩主細川綱利公の寄進を受け元禄四年 (一六九一)に棟上が行われた堂々たる見事な流れ造りです。(平成十一年に台風で大きく傷み、多くの方々の御浄財と奈良の宮大工の技により、一年以上をかけて解体修復がなされました)二の鳥居は、当時の家老八代城主長岡筑後守の寄進の重厚な石鳥居です。表参道の一の鳥居は昭和五十五年に、北口の鳥居は平成二十三年に、国内外の氏子崇敬者数千人の真心により奉納された、天にそびえる大鳥居です。

御神殿のまわりの石造の玉垣には、神社裏手一帯にあった奈良平安時代の玉名郡倉跡の礎石が使用されています。(疋野長者伝説の屋敷跡と伝える)

疋野長者伝説


千古の昔、都に美しい姫君がおられました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡し米を買ってきて欲しいと頼まれました。しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎを獲ろうと金貨を投げました。傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きましたが、暫くすると元気になって飛び去って行きました。
米を買わずに引き返した小五郎に姫君は「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。 「あのようなものは、この山の中に沢山あります」との返事に、よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。
この疋野長者の御神陵には、金銀財宝が埋められているとも伝えられ、また毎年四月には長者祭りが行われています。白さぎが元気になったいで湯は、現在では玉名温泉として栄え、また疋野神社は長者ゆかりのお宮として、多くの御参拝をいただいています。

次々と水を汲みに来られてました。(左右に水汲みの方がいたので一部分のみ)



余談…
呉の夫差の子「忌」(呉の太伯の子孫)が日本に来たと言われていて「孝昭三年来朝。火の国山門に住む。菊池郡」(孝昭3年は皇紀ではBC473年)とあり、東シナ海に出て現在の熊本県玉名市近辺の菊池川河口付近に到達し菊池川を遡って菊池市近辺に定住したと考えられています。
しかし、北畠親房は外国のある書の中に「日本は呉の太伯の後裔である」ということが書かれているのは全く事実に合わないこと。として、わが国は天地の神の御子孫であるから、それより後の世の呉の太伯の子孫などということはないとしています。
謎が謎を呼ぶ…

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