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福岡県みやま市高田町岩津に鎮座する九躰神社(くたいじんじゃ)。

高良玉垂命の息子とされる九躰王子を御祭神とする神社。高良大社の摂社、高良御子神社と同じ御祭神です。社殿の彫刻は躍動感があり非常に見応えのあるお社です。

神社の前を通ることがあって、九躰ってちょっと怖い…おどろおどろしい感じだな…なんて思っていた。まさか歴史散策とはいえ行くことになるとは…

御祭神

斯禮賀志命(シレカシノミコト)

暮日豊盛命(ユウヒトヨサカノミコト)

神淵志命(カミブチシノミコト)

谿上命(タンカミノミコト)

神娜男美命(カムナオミノミコト)

神坂本命(カムサカモトノミコト)

神安樂應寶秘命(カムアラキオホヒノミコト)

神安子奇命(カムアシキノミコト)

九躰社
楼門

御由緒

不詳。明治六年村社に列せられる。(参考:福岡県神社誌)

「高良玉垂宮神秘書」には、5人は高良大井(高良玉垂命)と神功皇后との子で、4人は仲哀天皇との間に産まれた子とされ合わせて九躰王子というと記されてるようですし大阪、住吉大社の住吉神社神代記にも同じようなことが…

九躰王子系は福岡県のみで見られる系統のようです。

拝殿彫刻

他、天神社、坂本社、稲荷社、社日社、屋須多社

近くを移動中、あっ!と思い通り過ぎたけど、福岡県大牟田市宮崎に五大王子神社が鎮座しています。

宮崎の氏神様で御祭神は仲哀天皇、神功皇后、竹内宿禰はじめ五神。

伝説によれば、1700年前ごろ、応神天皇の命を受け竹内宿禰が筑紫(福岡)を巡幸し、この地に船を寄せ神崎村(亀崎)と名付けた。また供奉(奉仕)の人々がいる西南の渚を供永村(倉永)えと名付け、お宮のある岬を宮崎と呼びました。

昔からこの地方の鎮守の神として崇められ、人々はこの地域の平和や家内の安全、繁栄、健康などを祈願してきた。隣接して大日堂も鎮座されています。

境内には弁天さんの前を清水が流れ、この霊水で夜泣きが止まる民話もあります。

久留米市にある高良大社。

季節外れの黄砂?
夏の晴れた日はこんな感じ。

「高良御子神」(王子宮)

御祭神の高良玉垂命の御子神の九躰皇子(斯礼賀志命・朝日豊盛命・暮日豊盛命・渕志命・谿上命・那男美命・坂本命・安志奇命・安楽應寳秘命)を祀っています。高良山の麓の山川町に鎮座
する高良御子神を明治6年(1873)境内に勧請。


「真根子神社」

社殿の向かって右手前に鎮座。御祭神の壹岐眞根子命は武内大臣の身代わりとなり大臣をお助けになった神です。『日本書紀』の応神天皇9年4月の条によれば天皇の命で武内宿禰が筑紫へ派遣された際に弟の甘美内宿禰が兄を廃そうと「武内宿禰は三韓を引き入れて天下を取ろうとしている」と天皇に讒言。天皇は武内宿禰を殺すため使者を出します。それを知った武内宿禰は嘆きます。武内宿禰と容姿がよく似ていた壱伎直祖真根子が武内宿禰の身代わりとなって自刃しました。その後、武内宿禰は朝廷に至って天皇に弁明し甘美内宿禰との盟神探湯の対決を経て疑いを晴らしたと伝えられています。

現在の社殿は、貞享2年(1685)再興の豊比咩神社の旧社殿とされています。昭和10年(1935)同じく境内にあった五所八幡宮、日吉神社、風浪宮を合祀。

「印鑰神社」(いんにゃくじんじゃ)

社殿の向かって左手奥に鎮座。高良大社の大宮司家の祖神である武内宿禰命を祀る。

高良山の麓の御井町に鎮座する印鑰神社を明治6年(1873)境内に勧請したもの。

印鑰とは高良大社の印と鍵(鑰)のことで、高良大社の宝を守る鍵、あるいは高良大社そのものを守る神社であるといわれています。

「高樹神社」

御手洗池の道を挟んだ向かいに鎮座。高皇産霊神を御祭神として祀る。「高牟礼権現」「高牟礼神社」と称される高良山の地主神です。『日本三代實録』元慶2年(878)11月13日の条に「筑後國
高樹神」に従五位上の神階がけられたことが記され、やがて正五位下に進んだことが天慶7年(944)の『筑後国神名帳』に見ることができます。元は地主神として山上に鎮座していましたが、高良神に一夜の宿を貸したところ、高良神が神籠石を築いて結界の地としたため山上に戻れず現在地に鎮座するに至ったとの伝説が高良大社の古縁起に記されています。高良山の別名を「高牟礼山」と称するのも高樹神の名に近むとされています。明治6年(1873)3月14日郷者
に、大正11年(1922)11月24日神饌・幣帛料供進社に列しました。明治中年頃の『国幣中社高良神社絵図』には「境外郷社」とある。境内社に社日神社、猿田彦大神。狛犬は筑後地方で最も古いものであり、久留米市指定民俗文化財。

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