島原半島唯一の道の駅、「道の駅 ひまわり」に併設されている「土石流被災家屋保存公園」では雲仙岳噴火災害(平成2年11月17日)で被災した家屋が保存されており防災について学ぶことができます。
1990(平成2)年 8月頃

山は緑に覆われ、麓には多くの家があり、田畑も広がっています。当時最も標高が高かった場所は普賢岳山頂で、その標高は1359mでした。雲仙普賢岳の噴火が始まったのは、この3ヶ月後(1990年11月)でした。
1993(平成5)年10月頃

噴火開始から3年後の様子。溶岩ドームが山頂に成長しています。山腹を流れ降った火砕流と土石流により、道路が寸断され、多くの家屋と田畑が被害に遭いました。
2003(平成15)年2月頃

噴火が終息した1995年から8年後の様子。被災地では復興が進み、道路、宅地、田畑などが再整備されました。噴火で誕生した溶岩ドームである「平成新山」の標高は1483mで、山頂の標高は120m以上も高くなりました。
雲仙普賢岳噴火による土石流で被災した被災家屋
大型テント内に3棟、屋外に6棟の合計9棟の家屋を見ることができます

この周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没しましたが土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為に倒壊はせず土砂物に埋もれました。

雲仙普賢岳の198年ぶりの噴火は多くの被害をもたらしました。島原市、深江町、有明町全体では、1991年5月から1995年8月までの間に1,692棟が土石流被害にあっています。


サムライブルー龍馬像



2010南アフリカワールドカップに合わせて東京・国立代々木体育館に設置されたもので島原市に寄贈されました。
島原は勝海舟と坂本龍馬が熊本から有明海を渡り長崎の地に初めて足を踏み入れた場所。龍馬らは島原に上陸して休息の後、長崎へ向かい帰路の際は島原に宿泊したと勝海舟の「海舟日記」に記載されています。
「道の駅 ひまわり」のそばにある「深江町特産物直売所」は、お客さんが多く地元の野菜や特産品が揃っています。


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