嘘か真か…

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以前、福岡県福岡市東区志賀島にある志賀海神社のブログを書いた時に金印について触れましたが読んだ本に偶然金印のことが書かれていたので追記します。

2013年に発行された『古墳墓碑:池田仁三・著』という本に福岡県博多市志賀島の畑で発見された金印を画像処理したところ金印の側面に金印受領者と思われる奴国王『常根津日子命(とこねつひこのみこと)』という名前が刻まれていることが発見され報告されたと書いてあります。

佐賀県との県境に近い福岡県糸島郡二丈町に所在する一貴山銚子塚古墳近傍碑石には「常根津日子命墓、丙寅年三月十六日薨、御年四十七歳」と彫られています。(常根津日子命は第3代安寧天皇皇子)なお、常根津日子命の兄「師木津日子命」の墓碑銘は、奈良桜井纒向勝山古墳近傍碑石から「戊辰年六月十五日薨、御年五十一歳」(生存年は西暦18~68年)が得られているようです。

『後漢書東夷伝』がいう後漢の光武帝が「倭奴国」に金印を与えたのは建武中元二年(57 A.D.)で常根津日子命の生存年は墓碑名等から西暦20~66年と算定されているので金印が授与された西暦57年と良く符合するようです。

安寧天皇の立太子が上鈴158年、即位が上鈴170年。上鈴58年=神武元年=660 B.C. を元に計算するとトコネツヒコは560 B.C. ~ 548 B.C. に生まれていると推定できます。『後漢書東夷伝』がいう後漢の光武帝が「倭奴国」に金印を与えたのは建武中元二年(57 A.D.)ですのでトコネツヒコの在世時代とは400年以上の開きがある。とも…

志賀海神社の御朱印には金印「漢委奴国王」のはさみ紙が添えられます。

金印の読み方も…

委の奴(わのな)と読めば倭の奴国、
委奴(いと)と読めば伊都国
となる…

歴史の解釈は奥が深い…

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