熊本県上益城郡山都町大野に鎮座する幣立神社、幣立神宮(日の宮)。阿蘇神社の摂社のひとつ「幣立社」とも。
神武天皇の孫である健磐龍命が阿蘇に下向した際この地で休憩し眺めがとても良い場所であると幣帛を立て天神地祇を祀ったといわれています。(一羽の白鳥が幣立神宮へ案内し健磐龍命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったともいわれています。)
日露戦争開戦当時、宮中に日本全国の8ヶ所の神社に戦勝祈願せよとの神示が降ったとされ、その中に幣立神社が含まれていたようです。この時に記念樹として植えた「日露の大役・記念の真木」が境内にあります。また、幣立神宮には樹齢一万五千年!と伝えられるヒノキの巨樹がそびえています。

日向風土紀に「天暗く 昼夜わかず 人道を失い 色別き難しかりき」とありますが、これは阿蘇の噴火による降灰現象を示していて天照大神はこの天変地異を鎮めるために天の岩戸に籠られました。(27万年前から9万年前に発生した4回の巨大カルデラ噴火の他、度々噴火が発生)
神々はここで穫れる籾(もみ)を分け与えて民人を救済していきました。天孫降臨とはこの籾をもって稲作文化を普及していくことでした。神武東遷もその流れの中に見ることができます。(籾を分け与えたという話は聞いたことがある。)
熊本県の蘇陽町(九州のへそ(中心)といわれている)、五ヶ瀬町(スキー場のイメージ)、清和村(清和文楽、天文台など)、高森町(トロッコ列車など)一帯はかつて知呆(ちほ)郷と呼ばれており、この地名の由来は日向風土紀にある「千穂の稲を搓(ても)みて籾と為して 投げ散らしたまひければ 即ち 天開晴(そらあか)り 日月照り光(かがや)きき。因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰(い)ひき。後の人 改めて智鋪(知呆)と號(なづ)く」の知呆(高千穂)で、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮です。
「五色神大祭」は五大陸の神々が集い人類の幸福と世界の平和を祈る壮大な祭りです。一時期中断されていましたが1995年に再開され5年ごとに開催されています。(その間の4年は、小祭が行われます。)
祭りの際にのみ公開される秘宝「五色神面」が特に有名で、これを見ることができるのは大祭のときだけです。また、お社には「五色神面」のほか、「モーゼの水玉」も奉斎されています。神代文字(ペトログラフ)の祝詞が刻まれた石なども…
「五色人」とは『古事記』や『日本書紀』より古い?とされる史書『竹内文書』によると、…かつて世界には「赤人」「青人」「黄人」「白人」「黒人」の5つの根源的人種があった。それらは現在の「黄色人種」や「白人種」とは必ずしも一致せず、大まかに分けられていたようです。赤人はユダヤ人やネイティブ・アメリカン、アラブ人など。青人は北欧人やスラブ人など。黄人は日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族。白人はヨーロッパのコーカソイド民族など。黒人はインド人、アフリカ人、パプアニューギニアやメラネシアの人々など。なお黄人は五色人の大本で、なかでも日本人は、これらを超越する「黄金人」の末裔であるともされ幣立の地から全人類が始まった…という伝説がある。とか…
御由緒

大日本史に見える知保(ちほ)の高千穂嶺が当宮の所在地である。筑紫の屋根の伝承のように神殿に落ちる雨は東西の海に注いで地球を包むので高天原日の宮の伝承を持つ国始めの尊宮である。古来天神地祇を祭った神籬(ひもろぎ)は、日本一の巨桧として厳存する。
神武天皇のご発輦(はつれん)の原点で、皇孫健磐龍命(たけいわたつのみこと)は勅命によって、天神地祇を祭られた歴史がある。
なお、祭神は神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむらみのみこと)及び大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)・天御中主大神・天照大御神など最高の神をお祭りしてある。
(境内由緒掲示板より)
高天原というのは、人類のふるさとと申しますから、広い意味では宇宙界にあるはずですが、せまい意味では筑紫の屋根といわれる、九州のまん中の幣立神宮となります。
なぜならばその宇宙界から、天神がお降りになった所が、外ならぬ幣立神宮であるからであります。ですからこの宮を太古から高天原日の宮と名づけて、一世(いせ)の宮と申します。その証しが天神の降臨地に生えたヒノキを、太古から一世内宮(いせうちのみや)とあがめ現在は十代目であるが、日本一の巨檜となり、更に一世外宮(いせさとのみや)と仰がれる神杉を、天御中主尊のお手植え六代目と伝えています。
神代に民族の宗廟として創建せられた云われる。延喜元年阿蘇友成は本社を造替して健磐龍命を配祀奉り、天養元年には阿蘇友隆が本社を造営して阿蘇両宮を配祀した。その後文安二年、天文十四年、天正十年阿蘇氏の造営があり、今日の社殿は享保十四年細川宣紀の改修したものである。明治六年十一月三日郷社に列した。
(熊本縣神社誌より)
御祭神
・神漏岐命
・神漏美命
・大宇宙大大和神
・天御中主大神
・天照大神
(配祀)
・神代七世の大神
・天神七代の大神
・地神五代の大神
・五色神
神代の伊勢・一世の大神【伊勢(一世)の内宮】
≪御祭神≫
・神漏岐命(かむろぎのみこと)
・神漏美命(かむろみのみこと)
神漏岐神、神漏美神の降臨地に生えた檜と伝えられ、現在は十一代目。日本一の巨檜。
【伊勢(一世)の外宮】
≪御祭神≫
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
天之御中主神のお手植えと伝えられる神杉の六代目。
【東の宮】
・風之宮大神
┗志那津比古神(しなつひこのかみ)
┗志那津比賣神(しなつひめのかみ) 他
・雨之宮大神
┗高淤加美神(たかおかみのかみ)
┗闇淤加美命(くらおかみのかみ) 他
・火之宮大神
┗火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
┗火産靈神(ほむすひのかみ) 他
・天之兒屋命(あめのこやねのみこと)
【西の宮(水神宮)】
≪御祭神≫
・彌都波能賣神(みつはのめのかみ)
・日子八井命(ひこやゐのみこと)
【大野神社】
≪御祭神≫
・建磐龍命(たけいはたつのみこと)
・應神天皇(おうじんてんのう)
東御手洗(水神様)
幣立神社本殿の西側にある鳥居をくぐって山道を下りると東御手洗があります。降り坂で滑りやすい道が続きますのでスニーカーがおすすめです。

この池は太古から八大龍王の鎮まる所で北辰妙見の大神が祀られています。又、神代の天の村雲姫が水徳を頂かれた霊地です。この水のかかる所に西御手洗の主基田を移したので田迎えと称し大嘗祭の由基田の起こりとなっています。日本の重大な聖地です。




東御手洗から少し離れた西側に御神陵参拝口があります。
御神陵に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神が鎮座。というか、天(うえ)にいらっしゃいます。
古事記では、
天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神【訓高下天云阿麻下此】次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
「天地初めて分かれた時、高天原に現れなさった神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)【高の下の天を訓みてアマという。下これにならへ。】次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。次に神産巣日神(かむむすひのかみ)。この三柱の神は、単独の神として、お姿を現わさずに隠していらっしゃった。」…とあるように、日本神話に最初に現れた神々です。
少し離れた場所に西御手洗(西水神宮)があります。
太古の三大神勅の「稲穂の神勅」の出た所はこの源泉のほとりです。依って大嘗祭の主基田の起こりとなっています。又、エジプトで研かれた「水の玉」がこの池で清められたので「玉洗いの池」と称え、この地一帯を玉来(たまらい)と称し、日本の重大な聖地です。


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