道路から見える大きな石像(石人)を通るたびに見ていて、何時か寄りたいなと思っていた江田船山古墳。(熊本県和水町)
ついにやって来ました。行ってみて知ったのですが、凄く有名だったみたいです。
江田船山古墳とは
5世紀後半頃に造られたとされる墳丘長62メートルの前方後円墳で、国指定史跡になっており、江田船山古墳の石室は、自由に見学できるようになっています。
また、古墳から出土した金銅製冠・沓・純金製耳飾り・轡・鐙・太刀・剣などの副葬品は2百余点に及び、一括国宝として東京国立博物館に保管されています。
なかでも、一本の太刀の峯に銀で象嵌された75文字の漢字は日本最古のものとされ、日本の古代史を研究するうえでの貴重な資料となっています。
教科書にも掲載されているらしいです。知らなかった…(忘れていた?)
銀象嵌銘大刀の銘文
「台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利)弖、八月中、用大鐵釜、并四尺廷刀、八十練、□(九)十振、三寸上好□(刊)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也」
※説明「天下を治めていた獲加多支鹵大王(雄略天皇456~479年)の世に、典曹(役所の仕事)に奉事していた人の名前は无利弖(ムリテ)。八月中、大鉄釜を使って、四尺(1m強)の刀を作った。刀は練りに練り、打ちに打った立派な刀である。この刀を持つ者は、長寿して子孫も繁栄し、さらにその治めている土地や財産は失わない。刀を作った者は伊太和、文字を書いた者は張安」
史跡の概要
江田船山古墳は、清原台地に造られた前方後円墳です。この台地には他に5基以上の古墳が築造されていたと考えられています。古墳内部に納められた家形石棺からは多くの遺物が出土しており、5世紀後半頃に造られたと考えられています。
清原台地は、舌状に広がる標高約30mの低丘陵地です。
西は菊池川、北は江田川の流路で区切られています。
古墳の復原
この古墳は、つくられたときから長い年月がすぎ、形が変わっていました。
左の模型はつくられた時の形を発掘調査の結果などをもとに、推定して復原したものです。
墳丘の斜面には、三段に分かれて葺石列があり、墳丘の上には埴輪が並べられていました。
築造時の話
この古墳をつくったときは、約500日の期間をかけ、合計約7万人の人が必要であったと考えられます。
周溝
周溝とは墳丘の周囲に巡っている溝で、墓域をはっきりとさせるために掘られることが多かったようです。この古墳の周溝は深いところで2.6m、朝日tころで1.7mの深さがあることが、発掘調査によってわかりました。
出土遺物
この古墳の家形石棺からは銀象嵌による銘文をもつ大刀や金銅製の冠帽、金製の耳飾り、金銅製の沓(くつ)、中国製の銅鏡をはじめ武具や装身具、馬具など200余点が出土しています。これらの貴重な遺物が多数出土したことで、江田船山古墳は大変に有名です。
整備の話
江田船山古墳の保存と整備のために、平成元年度に後円部墳丘にある家形石棺尾保存整備工事を行いました。
平成2年度には、つくられた時の古墳の大きさがわかるように、周溝の調査と墳丘の整備を行いました。
江田船山古墳の石室
石室内のワイパーが破損している為、結露がすごい…
以前見学した、同時期に作られた古墳群の石棺に形状が似ているので多少の交流があったのかな?
歴史民俗資料館
隣接する肥後民家村内にある歴史民俗資料館では、入館料無料で江田船山古墳から出土した銀象嵌名大刀(ぎんぞうがんめいたち)をはじめ、銅、鏡、冠、沓など国宝のレプリカを中心に鑑賞することができます。
なごみパン
江田船山古墳に隣接する「道の駅きくすい」敷地内天然酵母パン「ぱんのわ」で購入。
江田船山古墳を模した
なごみパン(あんぱん)
プチプチ食感の赤米と黒米、白餡と求肥(和菓子の材料のひとつで、白玉粉または餅粉に砂糖や水飴を加えて練り上げたもの)を練り込み天然酵母で発酵させたパン生地は中の白餡との相性バッチリ!
あんこ好きにはオススメの一品。
普通に食べたけど、フライパンで焼いて香ばしいパリパリ食感で食べた方がよかったのかな?
あと、古墳繋がりの食べ物として「装飾古墳館」に隣接する「鹿央物産館」にある「やすらぎ館」に前方後円墳「岩原双子塚古墳」を1/500で完全再現した古墳発掘カレーがあるらしいです。
大阪の百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳(大仙古墳•大山古墳)の古墳を模したカレーがあるとは知っていたけど、意外と身近にあったとは!
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