鵜殿石仏群

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鵜殿石仏をかたどった鵜殿石仏最中(宝来堂菓子舗)をお土産屋さんで見た後、近くを通ったので寄ってみました。

鵜殿石仏群 ー 石仏群のあたり一帯を『鵜殿窟』といいます。

左が不動明王、右が多聞天
右が十一面観音、左が持国天

大同元年(806)、空海(弘法大師)が唐へと仏教修行をした帰りに立ち寄り、釈迦如来、阿弥陀如来、観音菩薩の三対の仏様を岩肌に刻んだのが始まりといわれています。

鵜殿(うどの)磨崖仏、不動明王像と三体の仏坐像 

現在、鵜殿石仏群には十一面観世音や多聞天・持国天など60数体の石仏が確認されており、いずれも南北朝時代(14世紀)と室町・戦国時代(15世紀~16世紀)のものとされています。

中世の山岳仏教の面影を残す九州有数の石仏で、その規模は石仏の数から臼杵の石仏(大分県臼杵市)に次ぐものといわれています。

数十万年前の太古の時代、鵜殿窟一帯は海底で、地殻変動により海水が減退するにつれて、打ち寄せる波に侵食され大きな洞窟ができました。

その侵食された洞窟の一番奥に刻み込まれている仏様が、現在見ることができる仏様です。
当時、大きな洞窟の中には『平等寺』というお寺が建っていましたが、天正年間、佐賀の龍造寺と、松浦党の波多氏との戦いの際に焼けてしまい天井の岩石が崩落したので、今ではその面影がなくなっています。

所在地 〒849-3201 佐賀県唐津市相知町天徳

おまけ…

道の駅厳木(きゅうらぎ)「風のふるさと館」には、大きくそびえ立つ高さ15メートルほどの佐用姫像があります。約15分で1回転するそうです。

佐用姫像・・・佐用姫は厳木町の豪族の娘で、朝鮮半島での戦に向けて駐留する大伴狭手彦(おおともさでひこ)と恋に落ち、結ばれるものの狭手彦は戦場へ向かうことに…佐用姫は夫が乗る軍船に領巾(ひれ)を振り続け、最後には石になったといわれています。


道の駅厳木(きゅうらぎ)「風のふるさと館」

所在地 〒849-3113 佐賀県唐津市厳木町牧瀬692−1

近くに来たときは是非お立ち寄りください。

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