大分県中津市耶馬溪町宮園に鎮座する雲八幡宮。
昨年、宇佐方面に行った際はナビで違う道を通ったので通ることはないだろう…と思い耶馬溪に行くことがあれば立ち寄ろうと思っていたお社。
今回、マイカーの不具合のため代車のナビで宇佐方面へ向かっていると偶然通りかかりました。

御祭神

雲八幡大神(応神天皇、神功皇后、大山積神)
妙見大神(天御中主神)=相殿に坐す
御由緒

神功皇后が三韓征伐より帰国された折、この里に立ち寄られ、当社の巨石の上にしばし休息された。すると、それより、この石からは白雲が立ち上り、鳥などが死でんしまうなどといった奇怪な出来事が起こるようになったという。村の者たちはこれを恐れていたところ、大宝3年(703年)、唐笠山の頂から光り輝く童児の御姿が雲上に現れ、これを見た村人たちは、この巨石を雲石として崇め、これを祀ったことに始まるとされる。

雲八幡宮とかっぱ祭り(町指定無形民俗文化財「宮園楽」)
雲八幡宮の沿革 境内を流れる旭川を数百メートル下ったところに磐座がある。
「雲石」と呼ばれ大宝3年(703)、ここに神が出現し「雲の社」と尊んだ。天延元年(973)少納言清原正高卿(都から当地に配流になった人物)が現在地に社殿を造営したと言う。
友杉氏(中間氏)が地頭に任じられこの中間郷に一戸城を築いてからはその崇敬を受け、応仁3年(1469)には城主大蔵大夫が現宮司家の秋永氏を社司(宮司)に任じている。江戸時代になると細川忠興公、次いで小笠原氏歴代藩主、また元禄11年(1698)以降は幕府の天領となり、日田代官等の崇敬があった。
「かっぱ祭り」 雲八幡宮のおんぱらい大祭(7月28・29日)の最終場面に地元氏子によってカッパの登場する民族芸能「宮園楽」が奉納されるのでこの名がある。300年以上にわたって伝承されている。
源氏の追手に打たれた平家の落人の妄念がカッパになって田畑や牛馬に災いをなすとして、カッパに涼風を送って慰める所作を踊る。天下太平、五穀豊穣、処繁昌町をもたらす霊験ある音楽として奉納されてきた。元は筑後川の流域に起こった「筑後楽」だが、既に筑後地方に残っていないだけに貴重な民俗文化財である。演者はカッパ役の児童を始め、大ウチワ使い、囃子方、毛槍振りなど老若交え40名前後に及ぶ。 耶馬溪町
阿吽(あうん)の河童


狛犬は参拝者が無事にお参りできるよう見守るために置かれていますが雲八幡宮では河童も参拝者を見守っています。
平成2年、御大典を記念して建立されたのは雲八幡宮ならではの狛河童。この他にもあちこちに河童像があります。


祇園社


稲荷社


他に下郷鎮魂社。
雲乃社
本社の境内から400m下流に神功皇后が三韓征伐の帰途、お腰掛けになった石があります。
大宝3年(703)、この石から七色に輝く雲が立ちのぼり童形の神様がご出現になったと伝えています。この磐座は「雲石さま」と呼ばれ、里の人に崇敬されました。石のある場所は元宮とされています。
雲石の由来

雲八幡宮記によれば神功皇后が三韓征伐より帰国された際この里に立ち寄られこの巨石の上にしばし御休憩されたと伝えられている其の後この石の辺より常に白雲が立ち昇り鳥がとまればたちまちにして死ぬなどの奇瑞がありその不思議を恐れ尊んでいたところに大宝三年(西暦703年)白雲ことさら激しく立ち昇り突如唐笠山の頂きから稲妻の如き光が現れて光りかがやく童児のお姿が雲上に立たれたやがて白雲と共に天上に御姿を消されたが里人はこの不思議な現象に奇異の思いをなしいよいよ恐れ崇め尊んでその霊石の傍らに柴の禿倉を建てて丁寧にお斎り申し上げたというこれを人々は雲の社と称して敬ひ奉った八幡神の御出現がこれである又時下って天延元年(西暦973年)正三位清原正高朝臣 当村に配流になり其の事を聞いて大いに驚き清浄の霊地にお遷して厳重に祭るべきとして現在の旭川流れ清きほとりを社地と定めて遷し鎮め奉ることとなったものである 然し時うつり世変わり雲八幡宮発祥の地であるこの雲石の聖地もいつしか風雪に風雪に荒ぶところとなった為に五百有余の氏子一同思いを新たにし浄財を集め工を起こしこの生地を整え玉垣をめぐらし美事に其の復旧を見るに至った 茲に其の由来を記し後世の為に資することとした 昭和五十三年稔霜月祭吉日 雲八幡神社宮司秋永十勝 謹書並撰文
ふぅ…

社務所に書いてある電話番号に電話をすると宮司さんが来られます。
御朱印の金額はお気持ちで、書き置きもあるのかな?
御朱印を頂く際に筆を走らせながら神社にまつわるお話をしていただきました。(1時間程度…)神社の由来から天皇の名前の話…など多岐に渡りお話を聞くことができます。
第十六代 仁徳天皇は国民生活が困窮していると察し飢饉が落ち着くまでの三年間年貢を差し止めました。(諡が仁(おもいやり)徳(善行))今生陛下の諱は「徳仁(なるひと)」で幼い頃から仁徳天皇を意識しなかった日はなかったのではないでしょうか。国民を深く想ってくださっているでしょう…と。(仁徳⇆徳仁)
時期が時期なので寒くて足が震えた…できれば、冊子とかQRコードで読み込んでYouTubeで観れるようにしてほしいな、と。時間を割いて色々丁寧なお話しをありがとうございます。
御朱印拝受時に神社の絵葉書と神社報をいただきました。
近くの「道の駅 やまくに」にかしわ手という雲八幡宮 神社報が置いてあります。
三韓王降参之図(歌川国重筆 雲八幡宮所蔵)左から神功皇后、武内宿禰、三韓王

稽古照今(けいこしょうこん)。古(いにしえ)を稽(かんが)え今を照らす。
過去の歴史や先人の教えから学び、その教訓を現在の状況に活かす。という『古事記』の序文に由来する言葉です。
最後に聞くことができました。ありがとうございました。

いつかの秋の耶馬溪。



コメント