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熊本県人吉市に鎮座する岩屋熊野座神社

御由緒

古より岩穴があって水多く、奥の広さは計ることが出来ない。その水は下條トドロに通じている。俗に大蛇がすんでいると伝えられている。また、夜が更けてくると法螺貝を吹く音が聞こえる不思議の霊所である。

 初代相良長頼公が人吉に御下向になり、御守神である熊野三所権現を勧請しようと望まれて社地を選定して居られた時、蓑野の山際に測ることの出来ない霊地があって、山そびえ周囲は崖で岩穴があり、その麓に修験道の聖が一人住んでいて、鎮座地にふさわしい霊所であると里人が申し上げたために、相良長頼公はご覧になりこの地に熊野三所権現を勧請されたのが、岩屋権現(現岩屋熊野座神社)である。(岩屋熊野座神社由緒略記より)

見えない…

御祭神

中央殿   伊邪那美命(いざなみのみこと)

右殿     速玉男命(はやたまおのみこと)

左殿     事解男命(ことさかおのみこと)

相殿     八幡宮(はちまんぐう)

人吉市ひとよししの中心部から南寄りの東間上町ひがしあいだかみまち南端に位置する岩屋熊野坐神社いわやくまのざじんじゃは、人吉ひとよし下向げこうされた相良氏さがらしの初代当主の相良長頼さがらながよりが、寛喜かんき年中ねんちゅう(1229-1232)御守神おんまもりがみである熊野三所権現くまのさんしょごんげん勧請かんじょうしたのが創建そうけんです。勧請かんじょう社地しゃちを選定して居られた時、蓑野みのの山際やまぎわに計ることの出来ない霊地れいちがあって、山そびえ、周囲は崖で岩穴があり、そのふもと修験道しゅげんどうひじりが一人住んでいて、鎮座地ちんざちにふさわしい霊所れいしょであると里人が申し上げたために、相良長頼さがらながよりはご覧になり此の地に熊野三所権現くまのさんしょごんげん勧請かんじょうしたのが、岩屋権現いわやごんげん(現岩屋熊野座神社いわやくまのざじんじゃ)と伝えられています。

享保きょうほ12年(1727)に造営ぞうえいされた当時の棟札むねふだに「いにしえより岩穴があって水多く、奥の広さは計ることが出来ないとされ、その水は下篠しもしのトドロに通じているとされています。俗に大蛇だいじゃが住んでいると伝えられ、夜が更けてくると法螺貝ほらがいを吹く音が聞こえる不思議の霊所れいしょです。」と書かれています。境内けいだいは標高140mで、山間の谷間を利用し、西側の参道さんどうを除く三方は山の斜面となっています。東西に延びる参道さんどうの西端に鳥居とりいを構え、石段を登ると境内けいだいに至ります。建物は西面して建ち、背面の東側には勧請かんじょうの由来となった洞窟どうくつがあります。

延徳えんとく年中ねんちゅう(1489-1491)に社殿しゃでん造替ぞうたい天正てんしょう年中ねんちゅう(1573-1592)に社殿しゃでん修造しゅうぞう享保きょうほう12年(1727)に現在の社殿しゃでん造営ぞうえいされました。明治元年(1868)に岩屋権現いわやごんげんから、岩屋熊野座神社いわやくまのざじんじゃと改称されました。相殿あいどのは、明治9年(1876)にを教部省きょうぶしょうの通達により北西約一町に鎮座ちんざしていた八幡宮はちまんぐう合祀ごうししたもので、解体修理の際、「役行者堂えんのぎょうじゃどう」として設置されたことがわかっています。明治12年(1879)10月14日に村社そんしゃ列格れっかく。平成14年(2002)12月26日に、中央殿ちゅうおうでん左殿さでん右殿うでん拝殿はいでん覆屋おおいや鳥居とりいが国指定重要文化財に指定されました。旧扁額へんがく相殿あいどの二棟ふたむね左殿さでん右殿うでん)、棟札むねふだつけたりの指定を受けています。(九州の神社より)

国指定重要文化財の指定を受けている凝灰岩
ぎょうかいがん
製の石鳥居
いしとりい
は、参道
さんどう
(約200m)の入口に立ち、元禄
げんろく
14年(1701)に寄進
きしん
されたもので、南柱
みなみばしら
に「奉寄進岩屋講衆中」、北柱
きたばしら
に「元禄十四年辛巳年三月吉日」と刻銘
こくめい
があります。稚児柱
ちごばしら
がついた両部鳥居
りょうぶとりい
形式(権現鳥居
ごんげんとりい
四脚鳥居
よつあしとりい
)では球磨
くま
地方唯一のもので、在銘鳥居
ざいめいとりい
としても最古のものです。鳥居
とりい
は正確に西を向いており、春分
しゅんぶん
秋分
しゅうぶん
には鳥居
とりい
の中央から太陽が昇り、鳥居
とりい
の中央から太陽の沈むのを見ることが出来ます。参道
さんどう
が200m以上もあるのは、周囲の山から離れる事で、太陽をよく拝むことが出来るように設計されたものと思われています。(岩屋熊野座神社由緒略記より)

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