パァ!出たぁ!

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閉店ガラガラ…言うとる場合か! 冗談はさておき…

宇佐神宮で話を聞いたときに、岡田宮の話も出たので行ってみました。(あわせてこちらも…)

御祭神

中殿(岡田宮)
  • 神日本磐余彦命[神武天皇]
    (カムヤマトイワレヒコノミコト)
右殿(熊手宮)
  • 大国主命(オオクニヌシノミコト)
  • 少彦名命(スクナヒコナノミコト)
  • 県主熊鰐命(アガタヌシクマワニノミコト)
左殿(八所宮)
  • 高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
  • 神皇産霊神(カミムスビノカミ)
  • 玉留産霊神(タマツメムスビノカミ)
  • 生産霊神(イクムスビノカミ)
  • 足産霊神(タルムスビノカミ)
  • 大宮売神(オオミヤノメノカミ)
  • 事代主神(コトシロヌシノカミ)
  • 御膳神(ミケツカミ)
拝殿

境内には烏がチラホラ。

ご由緒 (岡田宮HPより)

古代、崗地方(旧遠賀郡)を治めていた熊族が洞海・菊竹浜(貞元)に祖先神を奉斎した地主神にて、岡田の宮と称し、この地を熊手と号す。
神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まり給う由「古事記」にあり。

仲哀天皇8年(199年)、神功皇后、三韓征討の折、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所神を親祭する由「日本書紀」にあり、これを岡田の三宮と称し「天」「地」「人」の三才を表す。
古来当地は北部九州における海陸路(洞海船留、皇后崎津、太宰府官道)の要に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬篤く、祭礼法度を定め社領18所、末寺9坊と栄えたり。


天慶3年(940年)、藤原純友追討の折、追捕使の主将・小野好古、副将・源経基、戦勝祈願の為に当宮に参詣し、三環鈴を奉納す。此の神鈴今も当宮に伝来す。
建久5年(1194年)、征夷大将軍・源頼朝の御家人・宇都宮上野介重業、平家討伐の功によりて筑前国遠賀・鞍手両郡のうち三千町を賜わり、当宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕せしむ。
永禄2年(1559年)、大友宗麟の兵火に遭い社殿焼亡するも、永禄8年(1565年)、麻生上総介元重、社殿を再興せしむ。此れの棟札今に残れり。

慶長10年(1605年)、黒崎城築城の際に筑前六宿の起点となりて現在地に御遷座され、福岡藩祈祷社・黒崎宿の産土神と定めらる。

爾来、藩主はもとより、長崎街道参勤の九州諸大名の崇敬篤く、社殿造営・社参奉幣等多く、又上り下りの文人墨客等数多く参詣せり。

慶応元年(1865年)三条実美卿、大宰府に流謫の途次、従士・土方久元を伴いて当宮へ参詣し、維新回天の大願成就を祈念し和歌一首を奉納す。

・「古事記」中巻、「日本書紀」巻第八に記してあります。

八咫烏(やたがらす)

みなさんご存知、サッカー日本代表の左胸にあるエンブレムには三本足のカラスである八咫烏が大きく翼を広げた姿で描かれています。 日本神話に登場する八咫烏は太陽の化身であり神武天皇を道案内して勝利へ導いたことから勝利の象徴としてエンブレムに採用されています。

人々の人生を導き照らす、道案内の霊鳥として古来より御祭神・神武天皇の神使として多くの方々から尊ばれ崇められて参りました。

金鵄(きんし)

勝利をもたらす霊鳥・大願成就の証として古来より御祭神・神武天皇の神使として多くの方々から尊ばれ崇められて参りました。

岡田宮の御朱印は切り絵や境内の八咫烏、金鵄の装飾など趣向を凝らしたものが多く、その日限りの御朱印もあります。

また、毎年七月に岡田宮へ奉納する黒崎祇園山笠は北九州の風物詩として有名です。

黒崎駅から続く商店街を何度か歩いたことがありますが、こんなトコロにあったとは…おそらく話を聞かなかったら来ることはなかったかもしれないので良いご縁でした。

あ、テレビで見て気になっていたシロヤのオムレット買うの忘れた…また機会があれば…

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