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高田行宮跡(たかたのかりみやあと)

日本書紀によれば景行天皇が九州遠征(熊襲征伐)の際、福岡県大牟田市歴木(クヌギ)付近に仮の御殿(行宮)を建てて滞在。

地上に倒れていた巨きな櫪(クヌギ)に関する話を故老から聞き、この地を御木(ミキ)→三毛→三池(ミイケ)と呼ぶようにと言ったと記されています。(筑後国風土記逸文では、巨木は「楝木」(センダン)とも。)

秋七月辛卯朔甲午、到筑紫後國御木、居於高田行宮。

櫪(クヌギ)は970丈(2910m前後)あって、朝日が当たると肥前の杵島岳(佐賀県武雄市)をかくし、夕日が当たると肥後の阿蘇山を覆ったと…

世界樹なのか?、970丈で9(ク)7(ナ)…狗奴(クナ)国の勢力が肥前の杵島山辺りから肥後の阿蘇山辺りまでだったとか?

三池の名前の由来には他にもあり大蛇山伝説から?

高田行宮趾

大正四年に三池郡教育会により三池町字高泉に記念碑が建立され、題字は三池藩立花氏の当時の当主・子爵立花種忠(立花種恭の八男、1880-1963)の書。(三池町は昭和十六年に大牟田市に統合され現在に至る。)

現在、歴木という地名があるからといって、ここが高田行宮とは言いがたいことも。近くには最近まで高田町(現みやま市)という場所があったし高田行宮の跡と断言できる史料もないので判断の難しいところです…

おまけ

大蛇山伝説とは…
むかし…三池の町は大蛇に襲われていたため大蛇を鎮めるために人身御供として一人の娘が差し出されることになりました。その生贄となったのが三毛中納言師親の娘「玉姫」です。

玉姫はいつも「ツガニ」を大変可愛がっていました。玉姫の歳が十八になったとき三池山の山奥に住む大蛇を鎮めるため大蛇に差し出され食べられそうになりました。

いつかのショッピングモールにて

そのときツガニが巨大な姿で大蛇の前に現れツメバサミで大蛇を三つに切り落としました。

大蛇は苦しみ暴れ落ちた場所が窪地となり三つの池になり「三池」の地名由来となりました。
~ツガニと大蛇の物語(ツガニの恩返し)より~

江戸時代初めの三池地区は荒れ地が多く大きな水源を持たず稲作が不安定な地域であったため村人たちは蛇(オロチ・ミズチ)や龍を水の神として雨乞いする「水神信仰」を行っていました。三池山中腹にある3つの池は、古くは雨乞いの祈祷を行う場所だったといわれています。

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