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福岡県小郡市に鎮座する御勢大霊石神社(みせだいれいせきじんじゃ)。

御由緒

神功皇后2年(202)創建、社記・伝説によれば第14代仲哀天皇は熊襲討伐に当たり、橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保の里が白州で清浄であったので、天神天祇を祀り仮陣地とし軍を指揮された。偶々近臣を従え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵の毒矢に当たられて此の地にて崩御された。皇后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く秘して仮に御殯葬申し上げた。

熊襲征伐後軍を纒めて御崩御を布告し、御霊柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につかれ、戦勝後凱旋されて、その石を大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。

今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納められ御本體所と称する。御勢は夫にて皇后よりの尊親の称である。(パンレットより)

御祭神

足仲彦天皇(十四代仲哀天皇)

天照皇大神

八幡大神

春日大神

吉富大神

境内末社

○粟島神社(又の名淡島神社)
御祭神 少彦名命 例祭九月十三日
創建は不詳であるが和歌山市加太に鎮まります御分霊を当地に勧請する。御祭神は医薬の祖神であり、又交通、航海安全の守護神として崇められる。

○秋葉神社(又の名愛宕神社)
御祭神 火之加具土神

○牛天神社
御祭神 保食大神
由緒御創建は不詳であるが、別名宇迦之御魂神とも云うも「ウカ」「ウケ」は古くから食物を意味し、稲は食物の中であり、生命元である。

○恵比須神社
○猿田彦神社

境外末社
○白鳥神社
父君の神霊白鳥と化し天に昇り、願くは白鳥を得て陵域の池に養はむ。当社も是を模して池を造り白鳥を飼いし所なり。総称して、白鳥島と言伝へたり。現在は年一度の御神幸は途絶えているが古昔は例大祭の御神幸の下宮として使われし所也。

その他
勅使御館之跡
社頭を距つる事五丁程戌亥の方にあり。勅使下向の折招請の御館を造った処である。

「史蹟仲哀天皇殯葬伝説地」標柱

皇統十四代仲哀天皇筑前国橿日宮にて崩マレヌ。皇后天皇の御手代として姑く男貌も仮石を以て御形代として之を奉し三韓を征し給うに三韓不日に服従す。御凱旋の後大保の郷に宮柱太敷立て此の石を祭り給い御勢大霊石神社と崇らる。社前に御剱、御衣を納め給う。これを御本体所と称す。
標柱に「史蹟仲哀天皇殯葬伝説地」とある。

子孫繁栄御神木

この御神木は、仲哀天皇の御霊石に支えられ、楡欅、もちの木、榊の木が奇蹟的に三位一体となり合体し雄大に日々生長しているのです。
神聖な境内に存在する故と思われます。地域社会の宝として生長を御守します。

此の地 龍頭の由来

由緒によれば神社創建は神功皇后二年(世紀二〇二年)仲哀帝、熊襲親征に当り橿日宮(香椎宮)の本陣よりこの地長栖(大保)に軍を進められた。
清浄な宝満川周辺の地を好まれこの地「龍頭」に天照大神を祀られ仮陣地に定められたと伝えられている。

そこでこの聖地に植栽されている松の木は”臥龍松”として生長しています。この地にふさわしいものです。御参拝の皆様の昇龍(昇運)願って臥龍松を見守って居ます。

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