おとひめ

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熊本県阿蘇市乙姫に鎮座する乙姫神社。(阿蘇乙姫子安河原観音の御本社)

天気予報の地域区分で阿蘇乙姫はよく聞くけど乙姫神社が鎮座していると知ったのはつい最近。気象庁の「アメダス(地域気象観測システム)」の阿蘇市乙姫観測点は標高487メートルの高地らしい。乙姫は絶景の阿蘇涅槃像である五岳の一つ杵島岳の麓に位置しています。

杵島岳といえば…日本書紀に、櫪(クヌギ)は970丈(2910m前後)あって、朝日が当たると肥前の杵島岳(佐賀県武雄市)をかくし、夕日が当たると肥後の阿蘇山を覆ったと…あったな…阿蘇にもあるんんですね杵島岳。以前のブログ

御祭神

若比咩神(阿蘇六の宮)

御由緒

阿蘇神社の末社として851年乙姫神社が創建。

祭神、若比咩神(わかひめのかみ)は阿蘇五の宮惟人命(これひとのみこと)の妃で天の女、容姿艶麗才色の誉れ高く、主神を助け九州の開発に尽くされ、神功(じんぐう)皇后の三韓へ渡海の際には母神蒲池比咩神(かまちひめのかみ)並びに惟人命御出征の留守を預かり給いてよく使命を全うし、後願の憂いなく守られた功績は特に大書すべきものであった。この役の功により、母神蒲池比咩神は宇土郡浦神社、惟人命は益城郡甲佐神社祭神として祭祀せられ、阿蘇4社として阿蘇大宮司直祭となる。乙姫神社は之に準じて大祭は阿蘇大宮司が執り行っていた。

(かつては天然痘(ほうそう)の神様として名高く遠近より小児の成長を願って参拝が耐えることがなかった。)

乙姫神社の御祭神は新彦の命の末娘とも、健磐龍命の妃阿蘇都比媛とも、新彦の命の長男、惟人命の妃とも言われています…

乙姫神社の由来

むかし、黒川のここ乙姫に赤松の大木があって、天気の良い日に松の中段に、何かキラキラ光っているのでよく見ると、金の御幣が掛かっていた。「きっと神様がお泊りになっている」というので、阿蘇のお宮に使者を出したら、乙姫さんがお移りになったということが分かった。どうしてお移りになってこられたかは、人に見られたくないということで、また疱瘡にかかられて良くなられたので出てこられたとも伝えられている。そのようなことでこの神様は疫病平癒の神様として、昔から子供を持つ母親が幼児をつれてお参りする者が多いという。乙姫神社の御神体は、後ろ向きに祀ってあって、お顔を人に見られぬようになっているという。(乙姫神社HPより)

乙姫神社(熊本県阿蘇市乙姫1317)

子授かり 安産 安全祈願の乙姫子安河原観音

 乙姫川上流の地に乙姫子安河原観音様は「子授かり安産」の守り神として広大無辺な慈悲の姿で鎮座されています。上向きに寝た女体の形をした自然石が観音様のお姿です。神功皇后が渡海の際、御懐妊中であったので尊体の安全、安産を祈られたと伝えられ、また大正天皇の御出生にあたり、第87代阿蘇大宮司惟敦は、七日七夜、御安産を祈られ、その御神石を宮中に奉持し大金を下賜されました。(明治12年)このように古来から皇室の尊崇あつく遠近各地の信仰をあつめて参拝者が絶えませんでした。子授けを願う人は祈願のうえ、ここの河原の石を持ち帰り股にはさむと必ず子宝に恵まれると言い伝えられています。

 子供の欲しい人や、かつて難産を経験した人達が安産を得ようと遠方から遥々お参りにやって来られます。乙姫子安河原観音の本社は麓の乙姫神社、毎年5月8日の例祭には多くの参詣者が訪れる歴史ある子授かり・安産の守り神です。(乙姫神社HPより)

御神体のある場所から石を持ち帰り(黒石は男児赤石は女児)、 子宝に恵まれたら石を奉納。お返しするといいとか。

乙姫子安河原観音(熊本県阿蘇市乙姫2120)

熊本方面から阿蘇に行くにはいくつかのルートがあります。

熊本県公式観光サイトより

最近できた北側復旧ルートは時短できるけど、道路左右に太陽光パネルが増えて景観が残念…

新阿蘇大橋(熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野)2016年の熊本地震で崩落した旧阿蘇大橋の代替として2021年3月7日に開通。新阿蘇大橋展望所「ヨ・ミュール」は熊本弁で「良く見える」の意味。展望スペースからは新阿蘇大橋、長陽大橋、白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)を眼下に望むことができます。

白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)を通る列車。トロッコ列車(高森駅~立野駅)も期間限定(3月〜11月頃)で走ります。

サニー号トレインは土・日・祝などに1日1〜2便走ります。南阿蘇鉄道HP

道の駅 あそ望の郷くぎの(熊本県阿蘇郡南阿蘇村久石2801)展望デッキからの阿蘇の大パノラマ。

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